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1月30日(土)、花岡山山頂で『熊本バンド』の記念早天祈祷会

[2010-02-01]

日本におけるキリスト教プロテスタントの源流のひとつとなった『熊本バンド』の結成134年を記念して、1月30日(土)午前6時30分から、花岡山山頂で早天祈祷会が開かれました。  熊本草葉町教会などでつくる実行委員会(小山哲夫委員長)主催がするもので、毎年この日に行われています。

  九州学院からも同志社大学への進学が決定している高校3年生や数名の関係教師が参加しました。 生徒の中には朝が早いために前日から九学会館に泊まり込んで参加した人たちもいました。 

厳しい冷え込みの中、信者や高校生ら約300人が参列し賛美歌を合唱。同バンドの宣言文「奉教趣意書」の口語訳を九州学院高2年西洋平君が朗読しました。
また、原誠同志社大学神学部教授が「使命を与えられるー知ったものの責任」というテーマで奨励をされました。 参加者は「ハイチの大地震では多くの人が今も苦しんでいる。世界の恵まれない環境にある人々に慈しみが与えられますように」などと祈りました。

* 熊本バンド(くまもとバンド)は、札幌バンド横浜バンドと並んで日本の明治プロテスタント派の3つの源流の1つです。                                             1871熊本洋学校が設立され、招かれたアメリカ人教師L.L.ジェーンズの信仰と情熱が青年達を動かし、多数の若者が入信しました。 ジェーンズは平信徒でしたので、長崎在住の宣教師と相談の上、洗礼の礼典を行ないました。                                       ジェーンズの教育方針は、道義的国家の確立のために、神の信仰に生きる自主的な個人を形成することにあり、こうした教育観が、士族の子として生まれながら藩制の解体で忠誠の対象を失った青年達に、新しい目標を与えました。                                   1876、洋学校の生徒35名は熊本城花岡山で集会を開催し、賛美歌を歌い黙祷と聖書朗読を捧げた後、「奉教趣意書」に誓約し、こうした契約によって結ばれた人々をバンドと称しました。 この趣意書は「遂にこの教を皇国に布き、大に人民の蒙昧を開かんと欲す。」とありますように、個人的な誓約や教会形成を意識したものというよりは、キリスト教と国家との関係を意識した宗教国家樹立を宣言したものでした。                                         洋学校は1876年に閉鎖されたましが、金森通倫横井時雄小崎弘道吉田作弥海老名弾正徳富蘇峰ら青年達の多くは、新設間もない同志社英学校に転校し、同志社の大きな位置を占めるようになっていきました。           (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)