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12月24日3時半 TKU 百周年特別番組 <制作秘話>

[2011-12-23]

  <特別手記>

 2011年、九州学院は創立百周年を迎え、夏の終わりから冬にかけて様々なイベントが行なわれてきました。いよいよ、12月24日(土)にTKUで放送される記念特別番組「百年の想い世代を超えて〜敬天愛人のもと・今、明かされる九学百年ドキュメント〜」が最後を締めくくります。

 日本側のたった一人の通訳として米国第三艦隊旗艦、ミズーリ号に乗り込み、降伏文書調印式の事前交渉をした竹宮帝次先輩のエピソードを軸に、九州学院100年を振り返り、現在の学校の様子を紹介する番組です。

二年前の夏に構想を練り始めて以来、まるで神のお導きであるかのような不思議な出会いと出来事の中、同窓生の皆様の心温まるご協力を頂きながら、着々と準備をすすめて来られたことに感謝致します。

 竹宮先輩の偉業については、九学の誇りとして多くの人に知ってもらいたい以前から思っていたところ、「新潮45」の2009年8月号に掲載された竹宮先輩(当時86歳)のインタビュー記事に感銘を受け、そのことをテーマに創立百周年記念のテレビ特別番組を制作したいと密かに決心しました。

とにかく早い機会に先輩にお会いして取材をしたいと思って伝を模索し始めたところ、東京九学会の高森氏(S32回)から、竹宮先輩の同級生 中園先輩を紹介され、竹宮先輩が居られる場所も判明しました、さらに映像関係会社の古財社長(S37回)の善意により、2ヵ月後の2009年10月3日に東京都羽村市内の老人施設で竹宮先輩との会見が実現したのです。

当日は中園先輩、もう一人の同級生矢野先輩、小崎同窓会参与、古財氏、高森氏、宮崎カメラマンと私が同席しました。

竹宮先輩は体調の都合であまりお話出来ないかもという心配をよそに、ミズーリ号上での事前交渉の話や九州学院の思い出など、なんと一時間半にわたって熱心にお話下さいました。

実をいうと番組制作の計画が学校に認められ、予算が付いたのは後になってのことで、いわば見切り発車の冒険だったことを白状しますが、すべてがとんとん拍子に運んだことが不思議でなりません。

 竹宮先輩の訃報が届いたのは、翌年の2009年4月30日でした。半年前のあの時のお話が私たちへの最後の貴重なメッセージとなった以上、先輩の遺志を後世に伝えるべき番組にしたいと、気持ちを新たにしたものです。

 先輩の遺業を伝える上で、どうしても撮影したい場所がありました。それは米海軍横須賀基地池子支所にある、竹宮先輩を讃えてネーミングされたレストラン&バー「クラブ・タケミヤ」でした。何度かの交渉の末、免許証と住民表時参の条件付でやっと基地内での撮影許可が下り、2011年7月1日に高森氏の案内で私のほかに二人のカメラマンと逗子の池子に向かい、念願の撮影をすることが出来ました。

建物の入り口の正面に竹宮先輩の写真と業績の紹介文(英語)が飾られていたのがとても印象的でした。 竹宮先輩の通訳の敏腕と高潔なお人柄が認められ、戦後は米海軍のブレインとして長年にわたって米軍に貢献されたことが高く評価され、退任式には400人以上が参列し、時の小泉純一郎外務大臣の挨拶もあったということです。「クラブ・タケミヤ」は現在も基地で働く多くの米海軍関係者のオアシスとなっています。

 二年前に取材を始めて今日までいろいろな偶然な出来事がいくつもありましたが、九州学院の某教職員と竹宮先輩の実妹永田勝子様とが近い親戚にあたるということがわかり、妹さんとの会見が実現したことは大きな驚きでした。

これは確率からすると考えられないほどの偶然な事ですが、今回の番組制作の一連の出来事はすべて「必然」なのかも知れないと、ノンクリスチャンの私でさえ「神の御業」を強く意識せざるを得ないことでした。

 まさに神様と多くの同窓生をはじめ学院関係者の善意に支えられてたこの番組に、どうかご期待下さい。

 最後になりましたが、番組の制作にご協力を頂きました全ての方々に感謝の意を表すとともに、竹宮帝次先輩のご冥福を心からお祈り致します。

                          (九州学院 I.K 記)

 

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